夜活

こんばんは。やまーです。

夜遅い時間に失礼します。

たまに夜活という形で、普段の内容とはちょっと雰囲気の違う内容を届けています。

普段は論理的に必要な情報を届けたりしているのですが、
夜活パートでは思ったことをそのままつらつらと書いて送ってみています。

最初は気分で送ってみたものなのですが、

「自分も原点に帰れました。」とか「やる気が湧いてきました。」
「また他の話も聞いてみたいです。」

などの嬉しい感想もけっこういただいたりするんですよね。これが。笑

というわけで今でもたまに送っています。

あんままとまった文章じゃないかもしれませんが、
その分本音とかがより伝わったら嬉しいです。

まず、私がバイトとかサラリーマンとかで雇われて稼ぐという形ではなく
自分の力で稼ぐということをやってみて感じたのが、

日本は自力でいくらでも、いつからでも逆転できる国なんだというものです。

現代の日本って階級移動がめちゃくちゃ簡単にできる国なんですよね。

これがもし私たちが生まれたのが平安時代だったら

貴族じゃなくて平民に生まれた瞬間もう一発アウトです。

生まれた瞬間にすべて決まるのです。

平安時代の貴族は、人口の0.003%しかいません。

貴族に生まれれば優雅な暮らしができますが、
それ以外の平民に生まれた瞬間、どう頑張ってもそこから逆転することができないのです。

貴族にたまたま生まれて、どれだけやる気もないし、活力もないような人よりかも

平民にたまたま生まれた瞬間、めちゃくちゃやる気もあって才能もあって人格もすばらしくて、という人間でも絶対に逆転できないのです。

「なんだよそれ。腐ってるじゃねえか」

と思いますね。私は。

 

現代だって、もし日本以外の国に生まれていたら階級移動は無理でした。

例えばお隣の国、中国では
山奥の農村で生まれた人達は、国の政策によって上海などの都会の方には移動できないようにされています。

つまりは、たまたま生まれたのが山奥の家だった時点で
もうそこから逆転することはできないわけです。

なんて理不尽なことですかね。

その点、日本はツイッターから誰でも稼ぐことができる超イージーなフィールドが整っていますから、

いくらでも逆転できるわけです。

学歴社会って言われることもありますけど、
学歴の影響力ってビジネスの世界においてマジで鼻クソみたいなもんなんで
こんなもんマジ気にしなくていいです。

東大からいい会社入っても30歳で年収1000万円とかです。
それも激務。責任も重大で胃がキリキリする毎日。

東大から就職ちょっとミスったら、30歳で年収600万円とか全然ありえます。
たしかに普通よりかは高いかも?
けどあんなに受験大変だったこと考えるとマジでコスパ悪すぎなのは否めないです。

それよりかも、高卒でも正しい方法を知ってTwitterから稼げば
年1000万円なんて余裕で超えます。
さらにその先の2000万~や、人によっては億だって行けます。

日本は学歴社会って言われますけど、

平安時代の生まれで将来が決まることとか、
中国のどこで生まれたかで国の命令で将来が決まってしまうことと比べたら

学歴社会なんて屁でもないので、マジで気にしなくていいですよ。

プロフィールの記事でもちょっと書いたりはしていましたが、
私は昔とにかく家が貧乏でした。

バブル期は父親がそこそこ稼いではいたのかな?

だから自分って兄が2人いて、で年が結構離れてるんですけど(10歳とか離れてる。)

兄たちは家庭がそんなに苦しくない時に大きくなって1人暮らしを始めていったので、
あんまり家が大変だった実感がそんなにないようです。

ただ、自分が生まれて幼稚園あたりから父親の収入がどんどん減ってきて、

しかも危機感もない人だったので、家がどんどん貧乏になっていきました。

そのとき自分は幼稚園生とか小学生とかだったので、
家計の具体的な金額とかはわかりませんでしたけれども、

子供ながらにも「なんかおうちがよくない気がする…」というのに気づく程度には明らかでした。

千葉にあった兄弟3人で育った一軒家も売り払って
団地に引っ越しました。

一軒家の周りには幼稚園からずっと一緒で小学校も一緒で仲のいい友達がたくさんいたのですが、

「引っ越したらもう会えないね…」というようなことを話していました。

転校前の最後の日、クラスでお別れ会をしてくれて

クラスメイトの男の子の1人が代表で手紙を書いて私に読み上げてくれて

「やまくんと一緒にたくさん遊べて楽しかったよ。」と読み上げる途中で
涙を流してもくれました。

私はみんなの前では

「引っ越しても元気でやるわ!楽しかったよ!
もうあんま会えないかもしれないけど、ありがとう!大丈夫だって!」

と強がってはいました。

が、しょせんは小学一年生の子供です。

学校が終わって、そのまま友達と遊んで
友達とも解散した後

夕方おうちに帰ろうと思ったのですが

耐え切れなくなって200メートルほど爆走して
よく遊んでいた近くの公園に一人で行きました。

夕焼けという時間帯も悪かったのかもしれないですけれども、

「ああ、もうみんなには本当に会えないんだ。」という実感が湧いてきて

お別れ会のときはみんなの目があるから
強がりだった私は泣きませんでしたけれども、

その時は公園に周りに誰もいなかったこともあり
ボロボロ涙が止まりませんでした。

これは後になって母親から聞かされた話ですが、
引っ越す前日、父親は一軒家の玄関の前に立って
家を見ながら泣いていたそうです。

子供にとって親ってまるでスーパーマンのように完璧な存在に見えるものですし、
父親が泣いてるとこなんて見たこともなかったし、
想像もできない時期だったので

当時の私の感覚としては、それを聞かされて
大げさ抜きに、自分の知っている眼の前の世界が崩れていくぐらいの衝撃がありました。

 

今までは家のお金が減っていきつつも、
どうにか耐えていたのでしょうけれども

ついに耐えきれなくなって引っ越すことになったのでしょう。

限界を突破したということですよね。

 

そこから家庭が崩壊するのはもう早かったです。

お金のことで毎晩喧嘩する両親。

自分の部屋で寝てても、リビングから怒鳴り声がガンガン聞こえてきます。

まだ小学生ですから夜10時とかに寝ても
怒鳴り声で眠れないのです。

リビングにいくかどうか何回も迷ったあげくに
勇気を振り絞ってリビングに戻って

「うるさいからやめてよ!」と言うと

その瞬間だけはわかったよと2人とも静かになりますが、

5分もすればまた喧嘩が始まります。

小学生の自分に止められるわけもなく。

小学生にとって怒鳴り声なんて恐怖以外のなにものでもないわけです。

それが例え自分に向いたものではなかったとしても。

 

リビングから聞こえってくる怒鳴り声に怯えながら、
布団をかぶってただじっとしているしかありませんでした。

 

どうにか家計の足しにするため、次第に母親もパートに出るようになり
家に帰ってくるのが夜10時とか遅い日が増えました。

母親自体は好きでしたが、
喧嘩する両親は嫌いでした。

母親はよく遅い時間に帰ってきた後
小学生の子供をずっと1人でほったらかしにしてるのに罪悪感があったようで

「遅くなってごめんね。」

と言ってくれていました。

けど私の本音としては
小学生ながら

「2人が帰ってきたら喧嘩が始まるんだから、できるだけ遅くまで帰ってこないでくれ」

というのが本音でした。

本当に小学生でありながら冷めきった子供でした。

 

そんな生活が何年も続いた後に、
小学生高学年のあたりでようやく二人の離婚が決まったのですが

その時の私の気持ちを正直に申し上げると

「やっとか…」

というのが本音でした。

 

ドラマとかだったら普通子供は止めるんでしょうね。

「ママ。パパ。どうして離ればなれになっちゃうの?

いやだよボク。パパとママは愛し合って結婚したんじゃないの?離れ離れになるなんて嫌だよ!うわーん!」

小学生ながら

「なんだよその茶番劇。薄ら寒いんだわ。ヘドが出る。」

とか思ってました。

 

二人が離婚することが決まったとき

「これでやっと怒鳴り声から解放される…」

という気持ちの方が大きかったです。

 

「あなたもまだちっちゃいんだし、本当は暖かい家庭で育ててあげたかったけど
ママとパパ、離婚することになるかもしれない。ごめんね。」

と母親から言われていましたが

「そんなのいいから早く離婚してよ。
お母さんとしては、俺のためを思ってなるべく離婚しないように頑張ろうって思ってるつもりなのかもしれないけど、

正直今の自分にとっては2人が喧嘩してる方がよっぽどストレスなんだよね。
だから俺のためを思うなら離婚してよ。」

と言ったのを覚えています。
(言葉遣いはもうちょっと幼稚だったかもしれませんが。)

 

離婚がほぼ確定してから、実際に別居するまでの間の時期に
父親の運転する車に父親と2人で乗っていたとき、

小田和正が流れていました。

「時を超えて 君を愛せるか」と
「嬉しくて 嬉しくて 言葉に出来ない」

の2曲が流れていましたね。

で、父親がポロっと

「お母さんがな。小田和正好きだったんだよなぁ…」

と言いました。

 

どういう意味があったのかな。

「思い出の曲だけれども、ついに離婚かあ…」

みたいな気持ちだったのかな。

 

まぁ、父親としてもそんな深く考えず
ポロっと思ったことを言っただけでしょうけれども、

この一言がやけに印象に残っています。

「あー、昔は色々な思い出を積み重ねてきた2人だけど
お金がきっかけで離婚までしちゃうんだなあ」って。

 

それ以降、テレビで(日本生命のCMかな?)

「時を超えて 君を愛せるか」

の曲が流れている時期があったのですが、

それを聴くたびに

 

心のなかで

「ケッ。無理にきまってんだろ。キレイゴトいいやがってよ。」

と毒を吐く小学生になってました

 

そして、金がないと人間の性格はとことん歪みます。

とにかく金持ちを妬むようになりました。

 

「金より大事なものがある」が口癖。

(実際、大人になってから色々なお金持ちの方と関わって
お金を持ってる人は人格者ばかりだと今ではわかるのですが、

この時はそんなこと知るよしもなく…)

「金持ちはどうせ中身が腐ってる人間ばっかりだ」
「この世界は狂ってる」
「この世の中は偽善者ばっかりだ」「綺麗事にはもううんざりなんだよ」

と、そんなことばかりを考える卑屈な自分が出来上がりました。

 

「映画やドラマだって虚構だ。
全部最後にうまくいっているけど、現実はそうもいかない。

結局悪い状況は悪い状況のままだし、最後に何か謎の力が働いてハッピーエンドに向かうことだってない。」

そんなことばかり思っていました。

んで、まぁ金持ちを妬んではいたのですけれども
それは裏返せばお金に対する強い執着の表れでもあります。

こんなふうに、お金で色々なものが崩れてきた人生を送ってきたわけですから
常に考えているのは金のことでした。

金金金。

「お金なんて大嫌いだ」という気持ち、「金持ちなんて大嫌いだ」という気持ちと
「金が必要だ金が必要なんだ俺も金が欲しい」

という二つの相反した気持ちにずっと支配されていました。

とにかく脳内は金金金でした。

 

その結果あってか、途中からお金としっかり向き合ってきたからこそ

「ちゃんと稼がなきゃ」と思い

必要なところにお金を使って効率よく学び、行動してきたからこそ

今のところまでこれたのだろうとも思っています。

 

逆に私がのほほんとした育ちで

特に危機感とか
「この世界っていったい何なんだろう」とか考えることもなく、

「まあ別に毎日飯食って生きては行けるしなぁ」

みたいなことしか考えていなかったら

いまのところまではたどり着いていなかったことでしょう。

 

お金に関しては、しっかり向き合って

「お金が必要だ!」と考えて稼ぐ方向に振り切って
本当に良かったと思います。

でないと、結局我慢するだけでは根本的原因の解決にはなりませんし

お金がないのを今日我慢したところで
目の前の現実が何も変わってないのですから

その先にある未来は

五年後も十年後も「金がねえよ…」というのをひたすら考え続ける毎日だからです。

 

そうじゃなくて「金がない」という根本原因に向き合って
しっかりとお金を稼ぎに行ったからこそ

今となってはお金に不自由しない生活を手に入れられました。

これに関しては、本当に良かったと思っています。

 

お金を手にして感じるのは、

お金よりかももっともっと大切なものに気づくために
お金は絶対必要だ、ということです。

昔の頭の中が常にお金で支配されている生活と
今のお金に全く不自由しない生活、

両方を自分は味わっているからこそ分かるのですが

お金のことで頭が支配されていると、

それだけでもう脳内の九十%ぐらいを使ってしまう(いや、99%かも…)ので

お金よりかももっと大切な、
家族のこととか、親友たちのこととか

人生の喜びのこととかに頭の10%しか使うことしかできません。

しかし、お金の悩みがなくなれば

お金に関しては頭の10%ぐらい使えば十分ですから

残りの90%を使って家族のこととか親友たちのこととか
人生の喜びとか

そういうのに全身全霊をかけることができます。

もし自分が

「お金としっかり向き合って稼ごう!」

という決意をせず、

結局ガマンだけを続けていたとしたら

いつまでも頭の中が

金金金

に支配されてる人生で、

人生で本当に大切なことに気づけなかったのかな…と思うと
ゾッとします。

 

私以外にも

たくさんのお金持ってる人たち、なんなら私の何倍も、
時には何百倍もお金持ってる人たちともたくさん関わっていきましたが、

全員に共通してるのは

「お金としっかり向き合っている」

ということですね。

彼らはお金を

自分を磨くこと

だけに使います。

 

逆に、一瞬で無くなってしまう娯楽とか
酒、シャンパンとかには使いません。

 

私もはやいうちから彼らの姿勢を学び、
自分にも取り入れてきて使うべきところにお金を使う、そして稼ぐ

この循環を繰り返してきたからこそ、今のところまで来れたなぁ…

と、今までを振り返ってみてしみじみと思います。

 

こうやって振り返ってみると、

本当に今の自分と
昔の自分で

天と地ほど別世界に生きてるわけですけれども

 

思い返してみると

本当に今の日本であれば、人間ってどこまででも変われるんだなぁ

というのを実感します。

 

やまーからのメッセージを見てくれているあなたも
何かしら現状を変えたいという思いがあって見てくれているのだと思います。

私の発信が、そんなあなたたちの壁を突破するきっかけとなったら
これほど嬉しいことはないです。

 

ちょっと深夜に思ったことを書きなぐったので、
まとまりない部分とかもあるかもしれませんが

そのぶん私の本音とかも感じてもらえたらと思います。

こんな夜遅い時間にお付き合いありがとうございました。